中でも有名なのは、アメリカで米国国立衛生研究所(NIH)が行ったWomen's Health Initiative(WHI)研究という一連の大規模臨床研究の1つです。
エストロゲンとプロゲスチン(人工的に合成された黄体ホルモン様作用を持つ物質)を使ったHRTはメリットよりもリスクの方が大きいというデータが出たことから、この臨床試験は中断されました。
しかしWHI研究をよく見てみると、一概にHRTはやめた方が良いとは言えないことがわかります。
今回は、このアメリカの研究でわかったHRTのメリット・デメリットと、デメリットが起きてしまった原因についてご紹介します。
Rossouw JE, Anderson GL et alRisks and benefits of estrogen plus progestin in healthy postmenopausal women: principal results From the Women's Health Initiative randomized controlled trial. JAMA,2002; 288(3):321-33.
エストロゲン+プロゲスチンによるHRTの有用性の検討(WHI研究)の概要
【対象・方法】373,092例の50歳から79歳の健康女性の中から、16,608例を無作為にHRTを行ったグループと行わないグループに分け、有効性と合併症の発生率を比較した。
HRTを行ったグループ(HRT⊕) 8,506例HRTを行わないグループ(HRT⊖)8,102例
【HRTの方法】
エストロゲン: プレマリン®(結合型エストロゲン) 0.627mg/日【試験期間】
プロゲスチン: プロベラ®(メドロキシプロゲステロン酢酸塩) 25mg/日
平均5.2年の追跡を行った時点で試験を打ち切った。
【結果】
HRT⊕で罹患しやすくなる疾患: 心筋梗塞、脳卒中、血栓症(深部静脈血栓症、肺塞栓)、乳がん
HRT⊕で罹患しにくくなる疾患:骨粗鬆症(大腿骨近位部骨折、椎体骨折、すべての骨折)、大腸がん、子宮内膜がん、総死亡
WHI研究の結果の詳細
結果をグラフでお示しします。
●とー、●とーはハザード比の値を示します。
ハザード比とは、一方の群を基準にして他方のアウトカム発生の確率が何倍高いかを示すものです。
といっても、何のことやらわかりませんね?
●、●の位置は 代表的な値を示す
上のグラフの大腸がんのところを見てください。0.63のところに ●が付いています。
これは、HRT⊖の人が大腸がんになる確率を1としたときに、HRT⊕の人が大腸がんになる確率は0.63になるということを示しています。
つまり、ハザード比が1より小さい疾患は、HRTを行った方が行わないよりも罹りにくい人が多いと言えます。
ここで注意が必要なのは、●、●は、「人によって効果に違いがある中で、統計学的に計算したときに代表となる値」を示しているということです。
この値だけで、確実な予測はできません。
人によってばらつきが大きい場合には、●、●の値にあまり意味がなくなってきます。
直線の範囲はばらつきを示す
●、●についている直線は、95%信頼区間といってデータのばらつきを示します。直線が長ければ長いほど、ばらつきが大きいことを意味します。
大腸がんでは、直線は0.32から1.24までを指しています。
これは、「HRT⊕の人から100人を選んだとき、そのうちの95人が大腸がんになる確率は、HRT⊖の人が大腸がんになる確率の0.32倍~1.24倍の間に入る」ことを意味します。
例:静脈血栓塞栓症
では、静脈血栓塞栓症のグラフを見てください。直線の左端が1より上にあります。
言い換えれば「95%信頼区間」が1より大きくなっています。
これは、
「HRT⊕の人はHRT⊖の人よりも統計学的に見て有意に静脈血栓塞栓症に罹りやすい」
ことを示します。
「HRTを行っていると静脈血栓塞栓症に罹るのは偶然ではない」
ということもできます。
- 静脈血栓塞栓症は、HRT⊕で罹患しやすくなる
例:すべての骨折
次にすべての骨折のグラフを見てください。直線の右端が1より下にあります。
言い換えれば「95%信頼区間」が1以下に収まっています。
これは、
「HRTを行った方が行わないよりも統計学的に見て有意に罹りにくい」
ことを示します。
「HRTを行っているとその疾患に罹らないのは偶然ではない」
ということもできます。
したがって、グラフから、
- 「全ての骨折」は、HRT⊕で罹患しにくくなる
副作用を回避するためにこの臨床試験は中止となったのですが、その陰には、このように、大きなメリットがあることも確かめられていたのです。
WHI研究の結果をみるときの注意点
WHI研究はアメリカで行われた試験ですから、日本の現状とは異なる点が多くあります。
したがって、下記のような対象となった女性の状況や薬剤について、考慮して結果を読み解く必要があります。
- 約67%が60歳以上であり、更年期を過ぎていた人が多かった。
- BMIの平均値が28.5、30以上の人の割合が約34%であり、肥満者が多かった(身長160cmで73kgのときBMI=28.5)。
- 過去・現在を含めた喫煙率が50%と高かった。
- 高血圧(収縮期血圧/拡張期血圧≧140/90mmHg) の人の割合が約36%と高かった。
- 服用したエストロゲン製剤、プロゲスチン製剤に問題があった。
HRTを始める年齢について
WHI研究の対象となったのは約67%が60歳以上です。
更年期を過ぎてから5年以上たった 人が多いことがわかります。
更年期には、エストロゲンの血中濃度が乱高下することをお話ししました。
更年期からHRTを継続していれば、異なる結果が得られた可能性が考えられます。
また、エストロゲンの血中濃度が低い状態が何年も継続した後でHRTをスタートした場合、それまでの期間に、すでにがんや骨粗鬆症などの疾患に罹りやすい状態になっていたことも考えられます。
肥満・喫煙・高血圧について
肥満、高血圧、喫煙は、様々な疾患のリスクになります。
BMI≧28.5、喫煙率=50%、収縮期血圧/拡張期血圧≧140/90mmHgというのは、日本人女性に比べて高いので、この試験の結果だけから、日本人でも同じことが言えると考えることはできません。
服用したエストロゲン製剤について
エストロゲン製剤: プレマリン®(結合型エストロゲン)とは
結合型エストロゲン(商品名:プレマリン®)は馬の尿から取り出した次の3種類のエストロゲンの複合体です。
いずれもエストロゲン受容体に親和性を持っています。
プレマリン®のどこが問題点かというと、投与方法にあります。
プレマリン®は経口投与します。
右の図を見てください。
口から飲み込まれた薬剤は、多くの場合、胃を通って腸管に行き、小腸の壁から吸収されます。
小腸の壁から吸収されたものは、薬であれ、食べ物であれ、門脈という消化管と肝臓を結ぶ血管を通って肝臓へ行きます。
肝臓は、口から入ってきたものを血液の中に入れても大丈夫な形に変える働きをします。
消化管を通って身体に入ってくるものは、血管の中に行く前に必ず肝臓を通るようにできているのです。
肝臓で、毒性のあるものは解毒され(これを代謝と言います)、血液中に入ります。
経皮投与したエストラジオールは、直接血管に吸収される
WHI研究で使われたのは経口のエストロゲンでしたが、これが悪い影響を及ぼしたのではないかという見解があります。
現在では、皮膚から直接血管内へ吸収されるエストラジオールのパッチ製剤やジェル製剤が日本でも発売されています。
これらを使用すれば、副作用のリスクを減らせるのではないか、 と言われています。
だったら、経口投与も経皮投与も同じではないか、と言われそうですが、そんなことはありません。
エストラジオールを経口投与した場合と、パッチ製剤を使用した場合とで、代謝の過程がどのように違うかを見てみましょう。
エストロゲン受容体に作用することができるので、経口投与する場合に比べてずっと効率よく効果を発揮できます。
ジェル製剤では、皮膚に塗った薬剤はいったん角質層に吸収され、角質層から徐々に血液中に入ります。
角質層に入ったエストラジオールが、どの程度血液中に入っているかについては、詳しいデータが入手できません。
しかし、経口投与に比べて、血中濃度が一定に保たれることは確認されています。
服用したプロゲスチン製剤について
プロゲスチン製剤: プロベラ®(メドロキシプロゲステロン酢酸塩)とは
HRTでプロゲスチンを使用する目的は、月経のように出血を起こし子宮内膜の増殖を防ぐことです。
そうすることで、子宮内膜がんのリスクを回避できます。
子宮を摘出してしまった女性は子宮内膜がんにはならないので、プロゲスチンは必要ありません。
エストロゲンだけの投与で十分です。
WHI研究で用いられたメドロキシプロゲステロン酢酸塩(商品名:プロベラ®)は、日本では、プロベラ®のほかに、ヒスロン®という商品名でも発売されています。
もともと、メドロキシプロゲステロン酢酸塩は、月経異常の治療や妊娠維持のために合成されたプロゲスチンです。
当時はプロゲスチンの製剤は他にありませんでしたから、プロベラ®に救われた方は多かったと思います。
プロベラ®は、強力な子宮内膜の肥厚促進作用や妊娠維持作用を持つ半面、若干の男性ホルモン様作用も示します。
そのためにプロベラ®の影響で、HRT⊕群に乳がんをはじめとする副作用が現れたのではないかという見解があります。
また、WHI研究では、エストロゲンとプロゲスチンを併用した試験とは別に、エストロゲン単独群とプラセボ群を比較した二重盲検試験が行われましたが、その結果では、 乳がんと冠動脈疾患のリスクは増加しないことが報告されました。
(ただし、脳卒中はエストロゲン単独でも増加することが示されました)
3)
Writing Group for the Women’s Health Initiative Investigators. Effects of conjugated equine estrogen in postmenopausal women with hysterectomy : theWomen’s Health Initiative randomized controlled trial. JAMA 2004 ; 291 :1701―1712この結果からも、プロベラ®を併用したことで乳がんのリスクが高まった可能性が指摘されています。
プロゲステロン(黄体ホルモン)についても、エストロゲンと同様に純粋なプロゲステロンを経皮投与することが理想的ですが、残念ながらプロゲステロン製剤は、現在でも日本では発売されていません。
したがって、いずれかの人工的に合成された黄体ホルモン様作用を持つ物質=プロゲスチン製剤を使用することになります。
2008年に、男性ホルモン様作用もエストロゲン様作用もないジドロゲステロン(商品名:デュファストン®)というプロゲスチン製剤が日本で発売され、大きな副作用もなく使用されています。
HRTの乳がんへの影響の有無については、結論は出ていない
WHI研究以外にも、HRTを行うと乳がんの危険性が増えるのかどうかを調べた研究はたくさんありますが、どちらのデータもあり、結論は出ていません。
WHI研究では、5年以内のHRTであれば乳がんの発症は増えないことが認められています。
エストラジオールは、細胞を元気にすることで様々な有効性を発揮します。
この恩恵は計り知れません。
一方、その有効性があるからこそ、特にエストロゲン受容体がたくさんある乳がんの細胞を活性化する可能性も否定できません。
安直に”何かを摂っただけで健康になろう”という考えは、ムシがよいと言えそうです。
ホルモン補充療法ガイドライン2012年度版では、HRTを行う際には次のことを勧めています。
- HRT施行前、施行中には、血圧、身長、体重の測定、血液検査、婦人科がん検診、乳がん検診を年1~2回行う。
- HRT中止後5年までは1~2年ごとの婦人科がん検診と乳がん検診を推奨する。
その理由については、長くなるので改めてお話ししますね。
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